途中までだけど。またアップします。

イラクに対する偽りの成否

ブッシュ政権がなぜイラクに侵攻したのかを知りたいのなら、アメリカ合衆国国家安全戦略よりもフロイトの『夢分析』を読んだほうがいい。夢という錯綜したロジックのみが、矛盾した目標をアグレッシヴに追求すること―民主主義を促進し、アメリカの覇権を認め、安定したエネルギー供給を保障する―が成功をもたらすとアメリカが考えていることを説明しうる。 

スラヴォイ・ジジェク(Foreign Policy January/February 2004)


 夢という不可解なロジックを解明するために、ジークムント・フロイトは借りてきたやかんについての話を持ち出してきたものだ。友人があなたを借りたやかんが壊れていると責め立てるとき、あなたの返答は、まず、あなたがやかんなど借りていないというものだ。第二の返答は、あなたは壊れていないやかんを返したというものであり、最後の返答は、あなたがやかんを借りたときにはすでにやかんが壊れていたというものだ。そのような一貫性のない議論の列挙は、もちろん、それがまさに否定しようとしていることを認めていることになる。すなわち、事実、あなたがやかんを借りて、それを壊したということを。


 似たようなつじつまの合わないこじつけは、ブッシュ政権の2003年初頭のアメリカのイラク攻撃に対する公の正当化に顕著である。まず第一に、政権は、サダム・フセイン大量破壊兵器WMD)を所有し、それがその近隣諸国、イスラエルやすべての西洋諸国に対する「現実にある現在の脅威」であると主張した。これまでに、そのような兵器は見つかっていない(1000人以上の合衆国の専門家がそのような兵器を見つけるために数ヶ月を費やした後に)。そして、政権はもしサダムがWMDを所持していなくとも、彼が9・11アルカイダの攻撃に加担しており、処罰されるべきであり、将来の攻撃を防ぐべきであると主張した。結局、第三の正当化のレベルが存在している。たとえ、アルカイダとの関与が不在であれ、サダムの非情な独裁政権はその近隣諸国にとって脅威であり、自国民にとって大災害であり、これらの事実はフセイン政権を打倒するのに十分な理由だったのである。事実、なぜ、その他の悪の政権(イラン、北朝鮮に始まる、ブッシュの悪名高い「悪の枢軸国」のその他二つのメンバー)ではなくイラク打倒なのか?


 もしこれらの根拠が、本格的な吟味に耐えられず、ブッシュ政権が自らの行いを心得違いにも実行したと単に示唆しているならば、イラク攻撃のための、本当に背後にある理由はなんなのだろうか?事実上、三つの理由があった。第一に、アメリカ合衆国の運命は民主主義と繁栄をその他の国々にもたらすという、偽りなくイデオロギー的な信条。第二に、いたずらに際限ないアメリカの覇権を主張し、表示するという衝動。第三に、イラクの石油備蓄をコントロールする必要性。


 三つのレベルそれぞれが、それ自体で作用していて、真剣に考慮されるに値する。民主主義の拡大を含み、それらのどれもが、単純な巧妙な操作や嘘として消し去られるべきではない。それぞれが、良くも悪くも、それ自体の矛盾とそれなりの帰結をはらんでいる。だが、まとめて考えると、それらは危ういまでにつじつまが合わず、相容れないものであり、アメリカのイラクでの行いが失敗に終わることを予定的に運命付けているだけである。


それほど穏やかではないアメリカ人(THE NOT-SO-QUIET AMERICAN)

 アメリカ人は歴史的に、世界における自身の役割を利他主義的観点において見てきた。「われわれはただ、善であるように努めるだけである」、彼ら曰く、「他者を助けるために、平和と繁栄をもたらすために、そして結果として、その見返りにわれわれが得るものをみることになるのだ」。事実、ジョン・フォードの『The Searchers』やマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』などの映画、もしくはグラハム・グリーンの小説『The Quiet American』などは、ナイーヴな善行に対する根本的な洞察を提供しているが、これらの作品ほど、今日のグローバルなアメリカのイデオロギー的攻勢以上に関連のあるものはない。グリーンが彼のアメリカ人主人公について語ったように、誠実に民主主義と西洋的自由をヴェトナムにをもたらそうとすることは、結局まったくの失敗である。すなわち、「私は、その人物が引き起こしたすべてのトラブルのために、より善良な動機を抱えた人物など全く知らなかったのだ」。


 このような善良な意図の下にある仮説とは、われわれが皮の下ではアメリカ人であるというということだ。もし、それがヒューマニティの真の欲望であるなら、アメリカ人が必要としていることは、人々に機会を与え、彼らの押し付けられた抑圧から彼らを解放し、結果、人々がアメリカのイデオロギー的夢想を祝福するだろうということだ。民主主義防衛財団のStephen Schwartzが2003年二月に述べたように、アメリカ合衆国が、敵国による「資本主義革命」促進に対する抑止から離れたことは疑いない。合衆国は今、消滅したソヴィエト連邦が数十年前にそうであったように、世界革命を担う転覆的エージェント(=作用因)なのである。しかし、ブッシュが2003年一月に予算教書で、「われわれが賞賛する自由はアメリカからの世界に対する贈り物ではなく、人類に対する神からの贈り物である」と語ったとき、このあからさまなヒューマニティの爆発は、実際、その全体主義的敵対者を覆い隠した。すべての全体主義的指導者が、彼自身、彼自体は、なんでもないと主張する。すなわち、彼の強さは、彼の後ろに立つ国民の強さであり、彼が表現しているものは、国民の非常に痛切な奮闘に過ぎない、ということだ。落とし穴は、指導者に定義上反対する人々、彼に反対するだけでなく、彼らはまた、もっとも深遠で高貴な国民による努力に反対しているということなのだ。同様のことがブッシュの演説にもいえるのではないだろうか?もし自由が効果的にただアメリカ合衆国から他の国々への贈り物であれば、それはより安易であったのかもしれない。アメリカの政策に反対した国々は、単にあるひとつの国家の方針に反対しただけなのであるから。だが、もし自由が神のヒューマニティへの贈り物だとするなら、合衆国政府は自身を、この贈り物を世界のすべての国々に降り注ぐために選ばれた道具であると考えており、合衆国の政策に反対するものは、神から人類へのもっとも崇高な贈り物を拒絶しているということなのだ。
 

 第二の理由は、すなわち、絶対的なアメリカの覇権を誇示するための衝動に関して、ブッシュ政権の国家安全保障戦略アメリカの「並行化されない軍事的、経済的、政治的地位」を「平和と繁栄と自由の時代」へと変換させることを必要としている。しかし、ネオ・コンの思想家は、彼らのホワイトハウス内部の同僚が口にできないような、より飾り気のない言葉で語っている。近著『イラクをめぐる戦い』において、William KristolとLawrence F. Kaplanは、「ミッションはバグダッドに始まるが、そこで終わるのではない…われわれは新たな時代の先端にいるのであり…これは決定的な瞬間である…それはまったく明らかに、イラク以上のことだ。それは中近東の未来やテロに対する戦い以上のことでさえある。それはアメリカ合衆国がどのような役割を21世紀において担う意図であるのかということなのだ」。そのステイトメントには賛成せざるをえない。すなわち、アメリカのイラクに対する攻撃は、実効的に、国際社会の未来を危機に瀕させており、「新世界秩序」と何がそれを支配するのかについての根本的な疑問を生じさせているのだ。


 攻撃を行う第三の理由に関して、アメリカ合衆国イラクの石油産業を奪い取ろうと意図しているというのは仮定するのはあまりにも単純すぎる。しかし、対照的に、防衛副長官ポール・ウォルフォビッツが「石油の海の上の浮遊物」と言うように、合衆国の祝福された政府による基盤付け―石油産業における外国(「米国」と読む)への投資を黙認に加担し、OPECにおける影響力のある高い地位を享受している―は、確かに合衆国の政策立案者にとっては重要な配慮である。事実、その配慮を無視することは、広範なスケールにおける戦略的誤診の一つのケースであっただろうから。

(以下)次回に続く