アルトー、足穂、間章、Jawbreaker

bbb_tomo2004-06-17

一週間がたつのは早イッス。早すぎ。


別に上記の方々の作品について批評をぶとうとかそういうので
はなくて、そんな気分でした。ここんとこ。


寄りすがってはいかんのですが、彼らの作品によりすがって浸
っていました。生産性ゼロ。自閉モード全開バリバリで(別に
意識したわけじゃないが…)、今月に入ってから両手で数える
ほど位しか人に会っていない気が…。ライブで知らん人にはた
くさん会うけどねぇ。おあとがよろしくないようで…。

途中までだけど。またアップします。

イラクに対する偽りの成否

ブッシュ政権がなぜイラクに侵攻したのかを知りたいのなら、アメリカ合衆国国家安全戦略よりもフロイトの『夢分析』を読んだほうがいい。夢という錯綜したロジックのみが、矛盾した目標をアグレッシヴに追求すること―民主主義を促進し、アメリカの覇権を認め、安定したエネルギー供給を保障する―が成功をもたらすとアメリカが考えていることを説明しうる。 

スラヴォイ・ジジェク(Foreign Policy January/February 2004)


 夢という不可解なロジックを解明するために、ジークムント・フロイトは借りてきたやかんについての話を持ち出してきたものだ。友人があなたを借りたやかんが壊れていると責め立てるとき、あなたの返答は、まず、あなたがやかんなど借りていないというものだ。第二の返答は、あなたは壊れていないやかんを返したというものであり、最後の返答は、あなたがやかんを借りたときにはすでにやかんが壊れていたというものだ。そのような一貫性のない議論の列挙は、もちろん、それがまさに否定しようとしていることを認めていることになる。すなわち、事実、あなたがやかんを借りて、それを壊したということを。


 似たようなつじつまの合わないこじつけは、ブッシュ政権の2003年初頭のアメリカのイラク攻撃に対する公の正当化に顕著である。まず第一に、政権は、サダム・フセイン大量破壊兵器WMD)を所有し、それがその近隣諸国、イスラエルやすべての西洋諸国に対する「現実にある現在の脅威」であると主張した。これまでに、そのような兵器は見つかっていない(1000人以上の合衆国の専門家がそのような兵器を見つけるために数ヶ月を費やした後に)。そして、政権はもしサダムがWMDを所持していなくとも、彼が9・11アルカイダの攻撃に加担しており、処罰されるべきであり、将来の攻撃を防ぐべきであると主張した。結局、第三の正当化のレベルが存在している。たとえ、アルカイダとの関与が不在であれ、サダムの非情な独裁政権はその近隣諸国にとって脅威であり、自国民にとって大災害であり、これらの事実はフセイン政権を打倒するのに十分な理由だったのである。事実、なぜ、その他の悪の政権(イラン、北朝鮮に始まる、ブッシュの悪名高い「悪の枢軸国」のその他二つのメンバー)ではなくイラク打倒なのか?


 もしこれらの根拠が、本格的な吟味に耐えられず、ブッシュ政権が自らの行いを心得違いにも実行したと単に示唆しているならば、イラク攻撃のための、本当に背後にある理由はなんなのだろうか?事実上、三つの理由があった。第一に、アメリカ合衆国の運命は民主主義と繁栄をその他の国々にもたらすという、偽りなくイデオロギー的な信条。第二に、いたずらに際限ないアメリカの覇権を主張し、表示するという衝動。第三に、イラクの石油備蓄をコントロールする必要性。


 三つのレベルそれぞれが、それ自体で作用していて、真剣に考慮されるに値する。民主主義の拡大を含み、それらのどれもが、単純な巧妙な操作や嘘として消し去られるべきではない。それぞれが、良くも悪くも、それ自体の矛盾とそれなりの帰結をはらんでいる。だが、まとめて考えると、それらは危ういまでにつじつまが合わず、相容れないものであり、アメリカのイラクでの行いが失敗に終わることを予定的に運命付けているだけである。


それほど穏やかではないアメリカ人(THE NOT-SO-QUIET AMERICAN)

 アメリカ人は歴史的に、世界における自身の役割を利他主義的観点において見てきた。「われわれはただ、善であるように努めるだけである」、彼ら曰く、「他者を助けるために、平和と繁栄をもたらすために、そして結果として、その見返りにわれわれが得るものをみることになるのだ」。事実、ジョン・フォードの『The Searchers』やマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』などの映画、もしくはグラハム・グリーンの小説『The Quiet American』などは、ナイーヴな善行に対する根本的な洞察を提供しているが、これらの作品ほど、今日のグローバルなアメリカのイデオロギー的攻勢以上に関連のあるものはない。グリーンが彼のアメリカ人主人公について語ったように、誠実に民主主義と西洋的自由をヴェトナムにをもたらそうとすることは、結局まったくの失敗である。すなわち、「私は、その人物が引き起こしたすべてのトラブルのために、より善良な動機を抱えた人物など全く知らなかったのだ」。


 このような善良な意図の下にある仮説とは、われわれが皮の下ではアメリカ人であるというということだ。もし、それがヒューマニティの真の欲望であるなら、アメリカ人が必要としていることは、人々に機会を与え、彼らの押し付けられた抑圧から彼らを解放し、結果、人々がアメリカのイデオロギー的夢想を祝福するだろうということだ。民主主義防衛財団のStephen Schwartzが2003年二月に述べたように、アメリカ合衆国が、敵国による「資本主義革命」促進に対する抑止から離れたことは疑いない。合衆国は今、消滅したソヴィエト連邦が数十年前にそうであったように、世界革命を担う転覆的エージェント(=作用因)なのである。しかし、ブッシュが2003年一月に予算教書で、「われわれが賞賛する自由はアメリカからの世界に対する贈り物ではなく、人類に対する神からの贈り物である」と語ったとき、このあからさまなヒューマニティの爆発は、実際、その全体主義的敵対者を覆い隠した。すべての全体主義的指導者が、彼自身、彼自体は、なんでもないと主張する。すなわち、彼の強さは、彼の後ろに立つ国民の強さであり、彼が表現しているものは、国民の非常に痛切な奮闘に過ぎない、ということだ。落とし穴は、指導者に定義上反対する人々、彼に反対するだけでなく、彼らはまた、もっとも深遠で高貴な国民による努力に反対しているということなのだ。同様のことがブッシュの演説にもいえるのではないだろうか?もし自由が効果的にただアメリカ合衆国から他の国々への贈り物であれば、それはより安易であったのかもしれない。アメリカの政策に反対した国々は、単にあるひとつの国家の方針に反対しただけなのであるから。だが、もし自由が神のヒューマニティへの贈り物だとするなら、合衆国政府は自身を、この贈り物を世界のすべての国々に降り注ぐために選ばれた道具であると考えており、合衆国の政策に反対するものは、神から人類へのもっとも崇高な贈り物を拒絶しているということなのだ。
 

 第二の理由は、すなわち、絶対的なアメリカの覇権を誇示するための衝動に関して、ブッシュ政権の国家安全保障戦略アメリカの「並行化されない軍事的、経済的、政治的地位」を「平和と繁栄と自由の時代」へと変換させることを必要としている。しかし、ネオ・コンの思想家は、彼らのホワイトハウス内部の同僚が口にできないような、より飾り気のない言葉で語っている。近著『イラクをめぐる戦い』において、William KristolとLawrence F. Kaplanは、「ミッションはバグダッドに始まるが、そこで終わるのではない…われわれは新たな時代の先端にいるのであり…これは決定的な瞬間である…それはまったく明らかに、イラク以上のことだ。それは中近東の未来やテロに対する戦い以上のことでさえある。それはアメリカ合衆国がどのような役割を21世紀において担う意図であるのかということなのだ」。そのステイトメントには賛成せざるをえない。すなわち、アメリカのイラクに対する攻撃は、実効的に、国際社会の未来を危機に瀕させており、「新世界秩序」と何がそれを支配するのかについての根本的な疑問を生じさせているのだ。


 攻撃を行う第三の理由に関して、アメリカ合衆国イラクの石油産業を奪い取ろうと意図しているというのは仮定するのはあまりにも単純すぎる。しかし、対照的に、防衛副長官ポール・ウォルフォビッツが「石油の海の上の浮遊物」と言うように、合衆国の祝福された政府による基盤付け―石油産業における外国(「米国」と読む)への投資を黙認に加担し、OPECにおける影響力のある高い地位を享受している―は、確かに合衆国の政策立案者にとっては重要な配慮である。事実、その配慮を無視することは、広範なスケールにおける戦略的誤診の一つのケースであっただろうから。

(以下)次回に続く

『夢見る』?

ほんまかいな。
http://www.haken.co.jp/haken/profiling.html

あなたがご回答なさった際に強く顕れた一面は・・・

『夢見る』

気質です。

良い精神状態の時
心温かい・思いやりがある・表現力が豊か・独創的

悪い精神状態の時
意気消沈する・自意識過剰・片意地・気まぐれ

性格
豊かな感性を持つ芸術家タイプ。音楽や芸術を愛し、エスプリに富んでいる。深い情愛で他人と接し、心温まる関係をつくることができる。

注意
自分が周囲に理解されないと、自分を悲劇の主人公に仕立てて無気力で退廃的になり、殻に閉じこもってしまう場合もある。

仕事
自分の独創的な探求を支えるために、芸術や言語を手段とする音楽家、小説家、ジャーナリストなどの仕事に向いています。

いかがでしたか?
己を知ることが、困難に立ち向かい、道を切り開くための第一歩とも申します。この結果は必ずしもあなたのすべてではございませんが、あなた自身がお選びになった一つの方向でもあります。

これを機に、少々違う世界を覗いてみてはいかがでしょうか・・・。

少し違う世界っていっったい…!?すでに夢見ているのなら違う世界をのぞいてるんじゃあ。ああ、現実のことっすか?

夢で思い出した。ジジェクがForeign Policyに書いたイラク戦争に関する記事を訳しかけてました。アメリカのイラク戦争に対する戦略は錯綜しててフロイトの『夢判断』読んだほうがましとのことで。もう5ヶ月くらい前のものだけど、いまだに戦争は続いているし、無理やりにでも大統領選挙までにはイラクの戦争は形の上で終結させるのかな。

音楽販売:ダウンロード購入する人は店頭で買う回数も多い
http://www.mainichi-msn.co.jp/it/network/news/20040520org00m300043000c.html


03年度音楽著作権料の徴収額は3.2%増の1094億円
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/308360


デジタル音楽サービス利用が増加、違法ダウンロードは減少
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/comp/308622

著作犬の問題とか

bbb_tomo2004-06-05

■ネットで普及する音楽「マッシュアップ」は著作権の常識を変えるか(冒頭の写真はhttp://www.dogoo.com/toukou/kanban/kanban.htmより。)

   片方の曲からメロディーを、もう一方の曲からボーカルを取り出すなどの手法で、2つの曲を1つに合わせて新しい曲を作る「マッシュアップ」という手法が注目を集め、音楽関係のブログなどで広まっている。デビッド・ボウイ主催によるマッシュアップ・コンテストも先ごろ開催された。しかし、こうした作品はほとんどの場合、オリジナル・アーティストの許可を得ていないため、著作権法に基づいて訴えられる危険がある。http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/20040604204.html


アメリカでは、以前からかなり活発に議論されている著作権問題。個人的にはこの記事の中のDJウーのPavementが気になるところ。こういう手法がデヴィッド・ボウイや大手自動車会社のタイアップで支えられてるというのがかなりミソですな。

 日本では一般層のオーディエンスを巻き込んでかなりもりあがった(ように思われる)今回の議論でしたが、結局、「著作権を変える法律」参院で可決されましたね。自分はあまりメジャーの音源をほとんど買わない(し、基本的に日本のメジャーのアーティストの安い流入盤が増えようがどうでもいい)人なので、むしろ、変なとばっちりで、自分が普段接する音楽が聴けなくなるのがいやで法案には反対でした。にしても、あまりにも焦点がぼやけた問題だなあと。国会での答弁なんかみてると、レポートの書き方勉強してきてください、といいたくなるようなわけのわからなさで。いったい、この法律によって、誰が、どのような恩恵を受け、何の目的があるのか?ということがずえーんずえんわかりまへんですた。 


*先の法案の理由に関して

 「著作権制度をめぐる内外の情勢の変化に対応し、著作権等の適切な保護に資するため、専ら国外において頒布することを目的とする商業用レコードを情を知って国内において頒布する目的をもって輸入する行為等を著作権等の侵害行為とみなすこととするとともに、書籍又は雑誌の貸与について貸与権が及ぶこととし、あわせて著作権等を侵害した者に対する罰則を強化するための措置等を講ずる必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g15905091.htm

変化しつつある情勢に対応するためにシステムを変革するということ、この要請はどんな時代にも存在する。しかし、ただ「法を変えればよい」という事態がよく誤導される。当たり前だけど、変えりゃいいってものじゃない。ヒトラーだって世界「変えようとした」んだから。

法が現実に対応していないから法を変えなければいけない、と言ったとき、もっとも必要な議論は、現実がわれわれの旧来の法認識を逸脱する中で、われわれの認識の枠組み自体がどのように変化し、システムに何が必要なのかということである。今回の法改正は、まるでこの議論がなされていない。つまり、現実が旧来の法に沿わなくなったという事態に対し、新たな認識を基にした法改正ではなく、旧来の法認識(もはや役立たずになった)を保つための法改正である。

事実、もっとも中心的な議題である、著作権とは何かということについては、まったくといっていいほど議論がなされていない。たとえば、当たり前のように語られる「創造性」という近代的な産物が著作権制度を支えているのではあるが、その「創造性」というコンセプトがあいまいになってきたからこそ、現実の問題が発生しているのであり、「「創造性」を厳守しましょう」という名目の法改正は、まったく解決になっていないことは明らかである。昨今のWINNYの開発者逮捕も見切り発車的に行われており、実際の問題の解決につながるのかというのは非常に微妙。


*西高東低の企圧配置?

今回の法改正は米国の5大メジャーレーベルと、国内の関連レーベルには多少恩恵があるのかもしれない。底冷えのレコード業界は、不況やコピー、ダウンロードなどの複製技術の進歩をその理由に挙げている。しかし、これだけレコードが売れないのは、消費者の嗜好が拡散し、旧来のメジャーのマーケティングではカヴァーしきれなくなってきた、等の理由があげられるが、それ以上に確実なのはメジャーの作品の多くがつまんないからだ。そんなことにも気づけないメジャー作品は売れなくて当然。それを他人に当てこすりして、自分の権益だけ守ろうとしたって、先は見えているなぁ。

 さらに不思議なのは、国内の著作権の保護をうたいながら、実際には「米国5大メジャーにお伺いをたてる」法律であり、国内の音楽産業にとって利益があるのかどうかも怪しい。経済的優位な国は、文化的影響力が比較的強く、文化商品を輸出する。日本はこれまで欧米の文化商品を輸入してきた。「還流商品」を防ぐために、説く協調には、「米国にやられたこと」をアジア諸国にやり返そうとしているような意図も取れる。つまりは、持続可能な搾取は認めるが・・・ということか。しかし、当の一番得するはずの5大メジャーにとっても結果的にあまり恩恵があるとは思えないけれど…。こりゃあ、だんな、いよいよそういう時代に終わりが来たのかも知んないすね。